お墓の歴史とは?昔はどういう方法で埋葬していたの?
投稿日:2024年04月12日
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こんにちは。江藤です。
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本日は、「お墓の歴史」についてです。
縄文時代
お墓の歴史をさかのぼると、約1500年目から約2300年前の縄文時代から始まったといわれています。縄文時代は土葬でした。地面に穴を掘って、身体を折り曲げた状態でした。
古墳時代
今から1800年前の3~4世紀ごろは、その名の通り、大規模な古墳と呼ばれるお墓が造営されるようになりました。ただし、これらの古墳は天皇や貴族、地方の権力者などのお墓です。したがって、一般庶民は土葬のままです。
平安時代
平安時代になると仏教の普及により、一部貴族の間では火葬が取り入れられるようになりました。
鎌倉時代
鎌倉時代には、一般庶民の間にも火葬が浸透します。しかし、現代のように墓石を建てるという概念はありませんでした。火葬した後の遺骨を棺や小さな入れ物に入れた後、土中に埋める方式です。したがって、その上に墓標となるものを置くことはありませんでした。
江戸時代
江戸時代になると、再び土葬がメインになります。遺体を死装束で棺桶に納めて土中に埋葬し、その上に土を盛り上げた土饅頭の形にするようになりました。そして、武士のような階級の高い方のお墓には、木や石で小さな塔が立てられ、それが後々庶民にも広がっていきます。
明治時代
明治時代に入ると、公共の墓地である青山墓地や天王寺墓地などが作られ、それが全国に広がっていきました。江戸時代から明治時代に移り変わるときに、宗教に対する考え方も変わり、「どこのお墓でなければならない」という固定概念が崩れ始めました。つまり、どの宗教が管理する墓地でも、あるいは宗教が関わっていない墓地でも埋葬されやすくなったのです。埋葬方法も土蔵から再び火葬に変わります。
大正時代
大正時代には各自治体が火葬場を設け、地方で火葬が一般化しました。ただし、昭和初期までは、人口の少ない地域や島などでは、土葬と火葬が並行して行われていたそうです。
現在
現在のお墓は、墓地に墓石を建て、火葬した遺体を埋葬するスタイルが一般的です。
ただし、お墓のスタイルは多種多様で、伝統的な和形のお墓以外にも、洋式のお墓を選ぶ方もいます。宗教や価値観が多様化したことによって、自分にあったお墓を選べるようになり、また納骨堂や樹木葬など、お墓以外の埋葬方法も増えたことで、お墓選びの選択肢もかなり増えています。
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